笠間焼(茨城)
油滴天目夫婦湯呑
サイズ大 径 約8cm 高さ 約9.3cm 小 径 約7cm 高さ 約8.3cm 付属品木製共箱、しおり商品の特徴新品(最新作)日本製(茨城県)全て手作りのため、 1点づつ文様、形が微妙に違います。また歪みなどがございます。斑は、窯変と呼ばれ不良品ではございません。表面のヒビは貫入と言われ、胎土と上薬の収縮比率の違いにより入るもので傷ではありません。使い込むうち味わいとなり、愛着が湧くのでございます。注 意充分注意して撮影等しておりますが、お使いのモニターによっては色が違って見える場合があります。全て手作りのため1点づつ微妙に違います。ご了承下さい。笠間の新しい風笠間焼について 笠間焼の歴史は江戸時代中期、安永年間(1772〜1781年)から始まります。箱田村(現在の笠間市箱田)の久野半右衛門が、信楽の陶工・長右衛門の指導で焼き物を始め、窯を築いたとされています。 後に、笠間藩の仕法窯として保護され、甕・摺り鉢などの日用雑器が作られました。幕末から明治時代にかけては江戸に近い利点から、大量生産をし技術者や従事者も飛躍的に多く増加しました。明治時代には特に厨房用粗陶品の産地として知られていました。 しかし終戦後、プラスティック製品などの流入などにより人々の生活様式も大きく変化し、笠間焼の需要は減り、窯元は今まで経験したことのない危機に陥りました。そのような中、県立窯業指導所や窯業団地、笠間焼協同組合などが設立され、官民一体となり試行錯誤の末、厨房用粗陶品から工芸陶器への転換を図りました。 新しい作品は、日本はもとより海外でも次第に高い評価を獲得。日本の経済復興という追い風もうけて、少しずつ現在につづく活気を育んでいきます。昭和45年は30、昭和55年で100を数える窯元もそんな笠間焼の隆盛を物語るものと言えるのでしょう。伝統を受け継ぎながらも作家の個性をより重じる方向へ作風を転換した笠間焼。いま、自由闊達な空気のなかで多くの陶芸家たちかその感性を磨きつづけています。時代を超えて受け継がれるのは、技術もさることながら土を慈しむ心、絶え間ざる研究心、そして何より創造することの喜びだったのではないでしょうか。 平成4年に伝統的工芸品に指定され、近年では古い歴史に育まれてきた伝統に新たな技法が加わり、新たな商品を生み出しています。現在では、約300人の陶芸家や窯元がいる窯業産地となっています。 笠間焼伝統工芸士 志賀 出 作 油滴天目夫婦湯呑志賀 出 陶歴昭和43年 茨城県生れ昭和62年 県立高校卒 笠間焼窯元、大津晃窯にて修行平成 9年 笠間市手越にて独立 県芸術祭展入選平成11年 日本手工芸美術展入選(以降8回)平成15年 同展入賞平成17年 笠間焼総合部門伝統工芸士の認定を受ける笠間焼若手作家、志賀 出 作 力強い轆轤目を生かし、お茶の色が映えるように内側に白土で刷毛目を施してあります。見事に油滴の出たすばらしい出来栄えで、ご夫婦でお使いいただける「油滴天目夫婦湯呑」をぜひ、この機会にご愛蔵下さい。東日本大震災の被災地、茨城県笠間市より震災後初入荷致しました。
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